「国体」と民衆宗教

――出口ナオと王仁三郎を巡つて
里見日本文化学研究所主任研究員 金子宗徳
本誌掲載分〔PDF版〕

 苦難に満ちた人生がもたらした神憑り
 明治二十五(一八九二)年の旧正月、一人の女性が神憑り状態となつた。

 その名は出口ナオ、大本教の開祖として知られる人物だ。ナオは、天保七年十二月十六日(一八三七年一月二十二日)、天保大飢饉の最中に桐村五郎三郎・ソヨ夫妻の三女として丹波国福知山(現・京都府福知山市)城下に生まれる。桐村家は福知山藩の御用大工であつたが、父・五郎三郎の代になつて生活は窮迫してゐた。加へて父が死去したため、ナオは十歳の時から他家に奉公する傍ら母に至誠孝養を尽し、藩主より孝行娘として表彰される。その後、十七歳で綾部組坪内村(現・京都府綾部市)に住んでゐた母方の叔母・出口ユリの養女となつた。出口家は村屈指の資産家であつたが、未亡人であつたユリは自らの男出入りなど弱みを親族に付け込まれ、財産を奪はれたあげく、井戸に身を投げる。

 ユリの自殺に伴つて十九歳で出口家を継ぐことになつたナオは、四方豊助を婿に迎へた。政五郎を襲名した豊助は腕の良い大工だつたが、大酒飲みで家計を省みなかつたせいで出口家は没落の一途をたどる。さうした情況に置かれても、ナオは政五郎に仕へ、祖先伝来の土地家屋を売り払ふばかりか、子供を奉公に出すなどして何とか生計を立てゝゐたが、明治十七(一八八四)年、つひに出口家は破産状態に陥つた。さらに翌年、政五郎が仕事先で負傷する。政五郎は長年に亙る飲酒の影響もあつて寝たきりとなり、ナオがボロ買ひ・紙屑買ひ・糸引きなどに出ることで辛うじて糊口を凌いだ。そして、明治二十年に政五郎が死去し、ナオは五一歳で未亡人になる。

 ナオは生涯十一人の子を出産したが、三人は早死にし、三男五女を苦しい生活の中で育てた。しかし、長男・竹造は大工仕事に馴染めず自殺を図つた後に行方不明。次男・清吉は台湾で戦病死。長女・ヨネは博徒の情婦となり、明治二十四年に発狂。次女・コトは実家の貧しい生活に耐へかねて出奔。三女・ヒサも結婚後の明治二十三年に発狂。

 幼い頃から克己心の強かつたナオは、これでもかこれでもかと我が身に降りかゝる苦難を耐え忍んだ。けれども、心の奥底には世の不条理に対する鬱屈した思ひが渦巻いてゐた。それが限界を超えた時、ナオは自らの腹中に活物が入り込むのを感じ、その活物がナオの口を借りて語り出したといふ。さらには、無筆だつたはずのナオが平仮名と漢数字の交ぢつた「筆先」を書き始める。精神病理学的見地からすれば、解離性同一障害(多重人格)や統合失調症(精神分裂病)と診断されるのだらうが、こゝでは「神の言葉」として語られた内容に目を向けたい。

三ぜん世界一度に開く梅の花、艮の金神の世に成りたぞよ。梅で開いて松で治める、神国の世になりたぞよ。日本は神道、神が構はないけぬ国であるぞよ。外国は獣類のよ、強いもの勝ちの、悪魔ばかりの国であるぞよ。日本も獣の世になりて居るぞよ。外国人にばかされて、尻の毛まで抜かれて居りても、未だ眼が覚めん暗がりの世になりて居るぞよ。是では、国はたちては行かんから、神が表に現はれて、三千世界の立替へ立直しを致すぞよ。用意を成されよ。この世は全然、 新つの世に替へて了ふぞよ。……

 右に掲げた一節は、「初発の神諭」と呼ばれるものゝ冒頭部分である。大正八年十一月に刊行された『大本神諭 天の巻』の巻頭にも置かれるなど、大本教内部において重んじられた。

 この神喩は、神憑り状態となつたナオの発言そのものではなく、娘婿の王仁三郎がナオの日常会話や「筆先」から適切と思はれる表現を採つて構成したものであるが、ナオの思想が要領よく整序されてゐるので、これを基に議論を進めたい。
 「三ぜん世界」は仏教に由来する語で宇宙全体を意味する。続く「艮の金神」だが、「金神」とは陰陽道に由来する方位神。金神の坐す方位を犯すと家族など周囲の七人が命を落すといふ俗信があり、中でも鬼門にあたる艮(=北東)の方位に居る「艮の金神」は最強の神とされる。
 ナオからすれば、「獣類のよ、強いもの勝ちの、悪魔ばかりの国」である外国の風潮を真似た当時の日本社会は「外国人にばかされて、尻の毛まで抜かれて居りても、未だ眼が覚めん暗がりの世」であつた。正しい生き方を心掛けてきたにもかゝはらず自分が報はれないのは、社会の方が顚倒してゐるせいだ。そんな憤りをナオは「艮の金神」といふ強力な祟り神による「立替へ立直し」に託したのであらう。

 「国体」の視点から注視すべきは、以下の記述であらう。

 神となれば、スミスミまでも、気を附けるが神の役。上ばかり好くても行けぬ、上下揃はねば世は収まらんぞよ。洋服では治まらん、上下揃へて人民を安心させて末代潰れぬ神国の世に致すぞよ。用意を為されよ。脚下から鳥がたつぞよ。それが日本をねらふて居る国鳥であるぞよ。×××までも自由に致して、神は残念なぞよ。日本の人民、盲者聾者ばかり、神が見て居れば、井戸の端に、茶碗を置いた如く、危ふて見て居れんぞよ。外国人よ。今に艮の金神が、返報返しを致すぞよ。……
 てん××(しは)綾部に仕組が致してあるぞよ。×××(てんし)、×××(てんか)を拵らへて、元の昔に返すぞよ。洋服を着てウロツク様な事では、日本の国は治まらんぞよ。国会開きは、人民が何時までかかりても開けんぞよ。神が開かな、開けんぞよ。開いて見せう。東京は元の××(薄野)に成るぞよ。永久は続かんぞよ。東の国は、一晴れの後は暗がり。これに気の附く人民はないぞよ。神は急けるぞよ。此世の鬼を往生さして、外国を、地震雷火の雨降らして、×××(たやさ)ねば、世界は神国にならんから、昔の大本からの神の仕組が、成就致す時節が廻りて来たから、苦労はあれど、バタバタと埒を付けるぞよ。

 伏字とされた「てんし」について、村上重良は「天使」と註解してゐるが、「天使まで自由に致す」、「天使は綾部に仕組が致してあるぞよ」、「天使、天下を拵らへて」では意味が通らない。やはり「天子」と解すべきだらう。
 とすれば、今の「天子」(=明治天皇)は外国にかぶれてゐるので、「艮の金神」が新たに「天子」を立てゝ「元の昔に返す」といふことになる。国会を開設したところで「艮の金神」を無視してゐる限り長続きしない。人類は決定的な破局を経て漸く「大本からの神の仕組が、成就致す時節が廻りて来」る。明治国家のみならず自己を取り巻く世界全体に対するナオの強い違和感を反映したもので、最終戦争(ハルマゲドン)の後に千年王国が到来するといふ『新約聖書』の「ヨハネの黙示録」を想起させる。

 上田喜三郎との出会ひ
 一回目の神憑りは十三日間に亙つて続き、その後も何度も神憑りとなつた。祈祷師や僧侶などが憑霊退散の祈祷を行つたものゝ効果はない。やがて、病気直しなどを通じて小さいながらも信者集団が形成された。 その後、金光教の支援を得て、ナオを中心とする広前(布教所)が綾部に作られる。
 金光教は教派神道の一つで、備中国(現・岡山県)出身の川手文治郎により創唱された。村内有数の資産家だつた文治郎は神仏に対する信仰心が深いことでも知られたものゝ、自宅を普請するたびに家族を失ひ、金神の祟りではないかと村人たちの噂となつた。厄年とされる数へ四十二歳に大病を患つた際、金神の声を聞いたといふ。安政六(一八五九)年、農業を止めて「取次」=神と人との仲介に専念せよといふ託宣を受けて、金神改め「天地金乃神」を奉斎する金光教を立教改宗。文治郎の死後、明治十八(一八八五)年六月に神道事務局所属の金光教会として公認された。
 広前の開設から約半年間で信者は急増したが、ナオは不満だつた。と云ふのも、布教所には「天地金乃神」と「艮の金神」とが併せて奉斎されてゐたものゝ、金光教から派遣されてきた布教師が「艮の金神」に対して冷淡な態度を取り続けたからだ。金光教の側からすれば、あくまで「天地金乃神」こそ主たる神であり、「艮の金神」を奉斎するのは便法に過ぎぬ以上、当然だらう。
 そも/\、同じ金神を奉斎すると云つても、金光教とナオとの間には越え難い溝があつた。金光教の宗教活動と教義について、安丸良男は次のやうに述べてゐる。

……… ………

(続く見出しのみ公開・全10頁)
両者の対立と教義の体系化
「大正維新」論と第一次弾圧事件

(「国体文化」平成27年2月号2~11頁所収)

    本稿は昨年十一月二十二日に開催された〈国体学講座・近代日本の政治思想――その国体論を中心に(7)〉の講義録に加筆したものです

続きは月刊『国体文化』平成27年2月号をご覧ください。ご注文はこちら>>

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