宮田客員研究員、王城鎮護の地で講演

同日午後二時から、王城鎮護の社として知られる松尾大社境内の京都府神社会館において、日本会議・京都の主催による《建国記念の日奉祝京都式典》が京都府神社会館で開催され、金子所長など約百名が出席した。

第一部の式典は神武天皇陵遥拝・皇居遥拝から始まり、引き続いて国歌と「紀元節の歌」を斉唱。主催者を代表して田中安比呂会長(上賀茂神社宮司)の式辞、国会議員秘書や地方議員など来賓の挨拶が行われた後、聖寿万歳を以て締め括られた。
第二部は、宮田昌明氏(里見日本文化学研究所客員研究員)の「近代日本の政府、国民と外交──明治維新から大東亜戦争まで」と題する記念講演。

戦前の日本が侵略行為を行ったとする見方は学界でも定着しているが、宮田氏は、歴史の一部を汲み取って政治的に利用するのではなく、事実の相互関係と全体的流れを理解する必要性を説き、我が国の近代史を概観。日清戦争にせよ日露戦争にせよ、伊藤博文など当時の政府首脳は開戦を一貫して避けようとしていた。日韓併合に関しても統治に伴うコストの大きさに見合わないという意見も強かったと宮田氏は指摘。その後、辛亥革命を契機として支那の内戦が続く中で、欧米列強の支那における利権の拡大を危惧しつつも深入りを避けるという態度を取り続け、日本人が支那で虐殺されても政府はあくまで刑事事件として国民党政府に善処を求める方針を維持する。こうした方針に対し、現地では強硬論が擡頭して満洲事変の勃発に至ったものの、その後も政府は国際社会に理解を求める努力を続けた。このように考えてみると、日本には対外侵略を行う動機も意思もなかったと云わざるを得ない。

国内に目を向けると、日露戦争後に我が国は関税自主権を回復するが、それと同じ時期に労働時間規制や労働災害による被害者の支援を定める工場法が成立。このことは政府が産業界に保護を与える一方、産業界が労働者の権利保護の義務を負ったとも解し得る。第一次世界大戦が与えた影響も無視できない。軍隊の力だけからすればドイツ優位と思われていたにもかかわらず、英仏などの民主主義諸国が勝利したことにより、戦争に勝ち抜くためには国民の参加が不可欠であるという認識が生まれ、民主主義が発展した。加えて、戦勝国の一員として国際社会を支えねばならないという大国としての意識を国民が抱くようになる。

日本人は、国内における意見の相違はあっても天皇の下で一体となり、自らの社会的役割を主体的に担おうとした。こうした意識は国際社会に対する向き合い方にも反映し、日本は常に国際秩序を尊重し、その中で積極的に自らの役割を果たそうとしてきた。そして、かかる先人の努力は戦後復興や高度成長、ひいては現代日本にも繋がっていると宮田氏は結んだ。

近代における日本人の歩みを広い視野から見直し、その意義を説く講演で聴衆も深い感銘を受けたようであった。

(本誌編集部・記)
「国体文化」平成28年4月号

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