Category Archives: 皇室問題

ヒアリングを振り返る──三つの観点から(金子宗徳)

里見日本文化学研究所所長・亜細亜大学非常勤講師 金子宗徳
「国体文化」平成29年1月号より
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 ヒアリング終はる

 十月より始まつた「天皇の公務の負担軽減に関する有識者会議」では、皇室制度の概要および天皇の行為に関するレクチャーに引き続き、専門家に対するヒアリングが行はれた。十一月七日と十四日には主として歴史的視点から、三十日には法律的観点からの意見表明・質疑応答がなされたといふ。

 意見表明は、事前に発表されてゐる八つの聴取項目に沿つて行はれた。その詳細な内容は本誌前号でも触れたので繰り返しを避けるが、大まかには「日本国憲法の下で天皇は如何なる御存在であり、如何なる御公務を為されるべきか」、「天皇が御高齢になられた場合、御公務に伴ふ御負担を軽減する方法は存在するか」、「究極の御負担軽減策として譲位を認める場合、どのやうな制度設計が必要か」といふ三つに分けられるだらう。

 以下、この三つの観点からヒアリングの内容を振り返つてみたい。

 日本国憲法と天皇
 第一の観点についてだが、あくまで日本国憲法の枠内で解釈を試みた議論と「象徴」といふ概念じたいに立ち返つた議論とに分かれた。

 前者の典型は、前号でも触れた憲法学者の高橋和之(東京大学名誉教授)だ。明治憲法において「主権者あるいは最高機関」とされてゐた天皇が日本国憲法において「象徴」と改められたことを重視する高橋は、憲法上の「公務」は条文に明記された「国事行為」のみであり、それ以外の行為は「公務」ではなく、従つて、自己の責任において自由に行ひ得るものであり、逆に云へば行ふ義務はないと主張してゐる。

有識者会議を実質的にリードする者 ──東大法学部の影響力(金子宗徳)

里見日本文化学研究所所長・亜細亜大学非常勤講師 金子宗徳
「国体文化」平成28年12月号「主論」より
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 第一回目の模様
 十月十七日の夕方、「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」の第一回会合が総理大臣官邸で開催された。有識者の六名〔今井・小幡・清家・御厨・宮崎・山内〕は全員が出席し、政府からも八名が出席した。

 互選により今井が座長に選任された後、安倍首相は「今上陛下が現在八十二歳と御高齢であることも踏まえ、公務の負担軽減等を図るため、どのようなことができるのか、今後、様々な専門的な知見を有する方々の御意見もしっかり伺いながら、静かに議論を進めてまいりたい」、「国家の基本に係る極めて重要なことがらであり、予断を持つことなく、十分に御審議いただき、国民の皆様の様々な御意見を踏まえた提言を取りまとめていただけるよう、よろしくお願いしたい」などと挨拶したといふ。

 その後、座長の指名により御厨が座長代理に選任され、運営方法が話し合はれた結果、①会議じたいは非公開とするが議事概要を会議終了後一週間程度で公開すること、②会議で配付された資料は会議終了後直ちに公開することなどが決められた。

 続いて自由討議が行はれたが、席上、「この会議の役割としては、論点や課題を明確に国民に示すことが重要」、「できるだけ多くの真摯な御意見を聴いて、陛下にとっても国民にとっても最も良い結論を導いていくことが必要」、「様々な方策の抱える長所や短所を虚心に検討することが必要」などと慎重な審議を求める声が上がる一方、「御高齢となった陛下の御事情にかんがみるとき、慎重さを旨としながらも何よりもスピード感を持って検討を進めることが重要」との指摘もなされたといふ。また、「しっかりと静謐な環境を確保して議論することが必要」との発言もあつたやうだが、我らとしても冷静な議論を心掛けたい。

《年頭信感》国体より観たる「象徴」・「譲位」問題(河本學嗣郎)

 昨年、八月八日、今上陛下には、皇位継承に関はる「御譲位」と、日本国憲法上の「象徴」としてのお務めに関し、「お言葉」が発せられた。この二点につき、如何に拝すべきか、国体観から述べてみたい。

 陛下は、「日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方」を、「伝統の継承者として、これを守り続ける責任に深く思いを致し、更に日々新たになる日本と世界の中にあって、日本の皇室が、いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、人々の期待に応え」る「象徴」としての御行為を「天皇の務め」と仰せられた。

 象徴としてのお務めを陛下自ら、「務め」と仰せられたからといつて、決して、我々が日常の会社務めをしてゐる、務めなどと同等に軽く考へてはならない。

皇位継承の意義を踏まへた議論を──有識者会議に望むこと(金子宗徳)

里見日本文化学研究所所長・亜細亜大学非常勤講師 金子宗徳
「国体文化」平成28年11月号「主論」より
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 有識者会議の顔触れ
 九月二十三日、安倍晋三内閣総理大臣は「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」の開催を決定、菅義偉内閣官房長官より発表された。有識者会議のメンバーは以下の六名である。

  今井  敬(86)日本経済団体連合会名誉会長
  小幡 純子(58)上智大学大学院法学研究科教授
  清家  篤(62)慶應義塾長
  御厨  貴(65)東京大学名誉教授
  宮崎  緑(58)千葉商科大学国際教養学部長
  山内 昌之(69)東京大学名誉教授

【回覧】陛下のお言葉を拝し奉りて(「国体文化」平成28年9月号)

謹 啓

 この度、天皇陛下にはお言葉を賜りました。
 里見日本文化学研究所・日本国体学会を代表して本研究所所長の金子宗徳が今後如何にしていくべきかについて一文を草しております。
 その全文は「国体文化」九月号にも掲載いたしますが、極めて重要な国体問題でありますので、皆様に一刻も早く御回覧頂きたくお送りする次第です。なお、ウェブサイトにも掲出しております。
 御一読のほどよろしくお願い申し上げます。
                                    敬 具

里見日本文化学研究所
日本国体学会

■陛下のお言葉を拝し奉りて(「国体文化」平成28年9月号)
http://www.kokutaigakkai.com/0809kenkai/
■陛下のお言葉を拝し奉りて〔PDF版〕
http://www.kokutaigakkai.com/wp-content/uploads/267609kenkai.pdf※ PDF版は印刷・頒布など御自由に御利用ください。

西尾幹二・加地伸行への断筆勧告(「国体文化」平成28年6月号【『WiLL』不敬記事糾弾】)

里見日本文化学研究所所長・『国体文化』編集長 金子宗徳
印刷等にはこちらのPDFファイルを御利用下さい→〔PDF版

『WiLL』(平成二十八年六月号)が「崖っぷちの皇位継承」と題する総特集を組んでゐる。

本誌でも繰り返し論じてきたやうに、悠仁親王殿下と同世代の皇位継承有資格者が居られぬ以上、皇室の基盤を盤石たらしめるため皇室典範の改正は不可欠だ。そのため、天皇陛下の御聖断を仰ぐ環境を整へるべく、私たち国民は具体的な方策について議論を重ねなければならぬのであつて、「崖っぷち」などと他人事のやうな物云ひをしてゐる暇はない。

況して、特集の中心と目される西尾幹二(ドイツ文学専攻)と加地伸行(支那文学専攻)の十六頁に亘る対談「いま再び皇太子さまに諫言申し上げます」に至つては、他人事どころか皇太子殿下および妃殿下に対する誹謗中傷と云ふべき代物であり、断じて看過できない。

この対談では週刊誌の皇室報道を恰も真実であるが如く取り扱つてゐるが、昨年の天皇誕生日の夜に関する『週刊文春』の記事については宮内庁が天皇陛下の御発言を引用する形で否定してをり、このやうな報道を前提とすることじたい陛下を侮辱するものだ。

拝啓 渡部昇一先生

―――「国体」論および「皇統」論に対する疑義
里見日本文化学研究所主任研究員 金子宗徳
本誌掲載分〔PDF版〕

 どうにも納得できません

 初夏の候、先生におかれては御健勝のことゝ存じます。

 私は東都の片隅で「国体」について考究してゐる一学徒です。この度、先生が『正論』(平成二十六年五月号)に寄稿されたエッセイを拝読したところ、理解に苦しむ点が少なくありませんでした。そこで、『皇室消滅』(中川八洋氏との共著)〔ビジネス社・平成十八年〕、『皇室はなぜ尊いのか』〔PHP研究所・平成二十四年〕といふ先生の御著書も読ませて頂きましたが、疑問は消えませんでした。

 定義が曖昧ではありませんか

 『正論』誌上のエッセイで先生は「日本の国体、国のあり方―英語で言うとconstitution―は、世界無比で他国の参考になるような国体はない」と述べてをられますが、これは如何なものでせうか。

 先生ご自身、『皇室はなぜ尊いのか』(以後、『なぜ尊いのか』)において「コンスティチューションは通常『憲法』と訳されるが、元来の意味は『体質』である」と述べてをられますが、「体質」といふのであれば「本体」がなければなりません。にもかゝはらず、先生は「本体」としての「国体」を追及することなく、「あり方」ないし「コンスティチューション=体質」のみを議論しようとするため、議論が混乱してゐるやうに思はれます。

 百歩譲って、「国体」イコール国家の「あり方」といふ先生の定義を認め、そのやうな「国体は変わっていくもの」であるとして、これまで五度―①用明天皇による仏教信仰、②源頼朝による鎌倉幕府の樹立、③北条氏による皇位継承者選定権の簒奪、④明治維新による近代化、⑤大東亜戦争敗戦に伴ふ占領統治―にわたり国体は変化してきたといふ年来の御主張を受け入れてしまふと、非常に大きな問題が生じるのです。

 それは、⑤との関連で、昭和天皇が下されたポツダム宣言受諾の大詔を如何に受け止めるべきかといふ問題です。先生も御存じの通り、昭和天皇は大詔の中で「朕ハ茲ニ国体ヲ護持シ得テ」、「国体ノ精華ヲ発揚シ」と述べてをられます。「護持」とは云ふまでもなく「護り持つ」といふ意味で、表層的な「変化」を超えた何らかの「本体」を想定した表現です。また、そのやうな「本体」があるからこそ、その「精華」を見出すことができるのではないでせうか。

 そんなことを云うのなら、いったい「本体」としての「国体」とは何か、と先生は問はれるかも知れません。昭和天皇は、ポツダム宣言受諾の是非を巡つて開かれた御前会議において「国民の信念と覚悟」と表現されましたが、この場では「天皇による有形無形の統治と国民の様々な勤皇活動が相俟つて形成される社会的実体」と申し上げておきたいと思ひます。

 また、これは「国体」の定義とは直接的に関係しませんが、①との関連で指摘しておきたいことがあります。『皇室はなぜ尊いのか』において、先生は「仏教を支持する蘇我氏の力がどんどん伸び、……稲目の孫である蝦夷とその子の入鹿の代には、天皇の地位を侵すような振る舞いが強まり、蘇我氏の催すあらゆる儀式が天皇に近い感じになってきた。仏教を重んじるから、おそらく神道を軽んじていたのではないかと思われる」と述べてゐます。確かに前半は記紀にも記されてゐる史実ですが、後半は先生の憶測に過ぎません。

 「仏教がもたらした皇統の危機」といふ仰々しい小見出しを付けられるのであれば、もつと丁寧な論証が必要ではないでせうか。

 結論先にありきではありませんか

 「皇統」といふ語が出ましたので、話題を皇位継承のあり方に移したいと存じます。

 先生が『正論』に寄稿されたエッセイで述べてをられる通り、「日本の天皇は、国の起源にさかのぼる神話と繋がっていて、そんな王朝を持つ国は、世界中、そんなにない」のは確かです。私たち日本人は、この有難さに改めて思ひを致すべきでせう。

 と同時に、私たちは現実を直視せねばなりません。現在の皇室典範によれば、天皇は男系男子により受け継がれることゝされてゐますが、現時点において皇位継承権を有する男性皇族は皇太子殿下を始め六名に過ぎず、今上陛下の孫世代には悠仁親王殿下しかおられないといふ状態です。

 このやうな情況にあつて、先生は男系男子主義を厳守する立場から伏見宮系旧皇族の流れを汲む国民男子に「皇位継承者として復帰していただく」(『なぜ尊いのか』)べきと主張してをられます。

 先生は、『なぜ尊いのか』において、相続には「種」を尊重し、血統を続かせる「貴種相続」と財産を守つて残す「財産相続」の二種類があり、「皇室の意義は貴種相続であり、財産相続ではない。戦国時代の皇室は経済的に貧乏大名以下のレベルだったが、断絶する恐れはなかったし、その地位を奪おうとする人もなかった。そして、皇室が貴種であることはみんな知っていた。その意味で、どれほど貧しくなっても、皇室の意義は失われない」と論じてをられますが、そもそも「貴種相続」および「財産相続」といふ対比、特に「貴種相続」といふ語は、私の不勉強ゆゑか初耳です。先行研究があれば御教示下さいませんか。

 この「貴種相続」に関連して、先生は次のやうに述べてをられます。

ヨーロッパにはローマ帝国の貴種がばらまかれている。ローマ帝国の傭兵隊長(レックス)の子孫で、約五〇〇家といわれる。そういうヨーロッパ中に広まった貴種のなかから、ヨーロッパの王家はいざとなれば跡継ぎをもってくる。純度は薄らいでもいいが、庶民を王様にするのは嫌だというわけだ。
今度結婚されたイギリスのウィリアム王子の相手はふつうの人である。これはダイアナ妃以下ということになる。それでも、ウィリアム王子はチャールズ皇太子の息子だから貴種という感じがするけれども、庶民出身の母親が続くとどうなるのか。
「そんな王室は要らないのではないか」
という者が出てくるかもしれない。余所の国のことだからどうでもいいといえばそうなのだが、これで女王が出たら完璧に国民の王室尊重の心が切れる可能性もある。王様が貴種でなくなるというのは恐ろしいことなのだ。

 確かに、ヨーロッパでは古代ローマ以来の貴種=王族と庶民とは厳然と区別されてをり、「貴賤結婚」に対するタブーが存在します。また、ヨーロッパの王族においては女系継承も珍しくありません。イギリスの王位は女王であるエリザベス二世の死後に長男のチャールズ王太子へと継承されるでせうが、それを問題にする動きなど聞いたこともありません。そもそも、エリザベス二世の王婿であるフィリップ殿下はギリシャ王家の出身ですが、二人ともヴィクトリア女王の玄孫に当たり、貴種どうしの結婚であるから問題にならないのでせう。その結果、国王と国民との間に殆ど血の繋がりは存在しません。だからこそ、国民の利益を大きく損なつたり、戦争に敗れたりすると国王であり続けることが出来なくなるのです。

 一方、我が国はどうでせうか。確かに、清和源氏や桓武平氏など皇室の流れを汲む「貴種」といふ観念は存在します。しかしながら、母親の身分が低くとも皇位を継承した桓武天皇の事例などを斟酌するに、「貴賤結婚」に対するタブーは薄いと云はざるを得ません。さらに云へば、今上陛下と皇后陛下との関係も「貴賤結婚」です。この点について、国体学の泰斗・里見岸雄博士は「皇胤は皇族男子の賜姓降下及び皇族女子の婚嫁により国民の血の中に流れ下りて拡がり、国民の血は国民女子が、皇后、女御、皇族の妃等となつて入輿することにより皇統の中に還元し、民族の血は常に本末上下円環交流の弁証法的生成発展をしつゞけてゐるのである」〔『国体構造論』〕と述べてゐます。つまり、天皇と国民との間には血の繋がりが存在し、未曾有の敗戦を経験した後でも天皇を戴くといふ国体の基本原理に変化はなかつたのです。

 かうした社会構造の相違に対する考察を欠いたまゝ、皇室の本質は「貴種相続」であり、その「貴種」は男系による継承でしか護れないといふ先生の議論は、残念ながら結論先にありきといふ謗りを免れないと思ひます。

 をはりに

 以上、先生の「国体」論と「皇統」論について、承服し難い点を整理致しました。「保守論壇の重鎮」に対し、分を弁へぬ発言もあつたやもしれません。

 しかしながら、「国体」や「皇統」といふ日本人の根幹に関はる問題に関して黙してゐるわけにはいきませんでした。先生におかれましては、私の思ひをお汲み取り頂けると幸ひに存じます。

                           敬 具
(「国体文化」平成26年6月号所収)