「国体科学」入門篇〔5〕 天皇の起源と三縁の形成

里見岸雄著『新日本建設青年同盟 学習シリーズ 1 天皇とは何か』所収

 唯物史家や民主主義科学者と自称する一部の者などは、日本書紀や古事記などを頭から馬鹿にし、殆んど何の権威もないように言うのであるが、自分に都合のよさそうな処だけは、勝手に引合に出して証明とするのが狡猾な慣(なわら)しである。そこでこの人々は、記紀の神武御東征の記事などを楯にとって、天皇の起源は征服者である。滑稽なのになると、人民が民主主義的生活を楽しんでいた処へいきなり武力で征服した、というようなことを言っている。然しそういふ論は取るに足りないものであって、正しい解釈とは日われない。記紀の、神武御東征の処だけを取出して一方的に、先入見で解釈するのは、正しい古典の取扱い方とはいわれない。

 神武御東征を証明に用うならば、その前の神代の記事も十分に取り入れなければ不公平である。そして、記紀を綜合的に判断する限り、天皇の起源は、主として宗教的任務、即ち祭祀に存するのであって、征服とか武力の行使とかは僅かにその一片の物語に過ぎない。元来、古代人というものは、殊のほかに宗教的であって、神の信仰が生活の中心であるのは、いずれの民族の場合も同じである。人間文化の原初形態は、このように宗教的であるのが歴史の通則であって、日本の歴史が神代物語から始まっているのは、不思議でも故意でもない、極めて自然なのである。宗教時代、言葉が他のものと紛れないように神話時代といってもよいが此の時代に民衆の中心となる者は、言う迄もなく古代人の信仰している神と人間生活とを最も効果的に媒介する者でなければならぬ。

 即ち、神の意志を、民衆の為めに知り、民衆の為めに取り次ぎ、そして民衆をして、神の意志に背反することのないように指導して行く者でなければならぬ。それが神話的信仰時代に於ける民衆の中心者である。この中心者が中心者であり得る為めには公平無私でなければなるまい。一部の者の為めに神を利用する者、己れの為めに神を曲げる者であってはならぬ。若しそのような民衆への背徳行為をつづけるならば、中心者たるの位地が永続する道理はなく、いつの日にかは、民衆から信ぜられなくなり、背かれて、神の権威を負う地位から追われることは言う迄もあるまい。

 天皇の起源は、明かに、祭祀の首長、つまり古代人の信仰的生活の忠者として、神の権威を負う者であった。それが神話時代から歴史時代に入り、前後幾千年の民族社会の生活の中心者として発展しているということは、何よりも、民衆から、中心者として完全に信頼された為めでなければならぬ。即ち、日本の皇室は、最初、古代社会の信仰生活に於ける優秀にして公正なる中心指導者であり、祭祀によって神に仕へ神の意志を聞き神の意志を伝え、そして神の意志に人々をまつろわはしめて社会を道ある世とする家柄であり、民衆から完全に信頼され、尊敬されているうちに、いつしか、その家の太祖こそ至公の神、最高の神であると信ぜられるようになり、神話的信仰の社会から歴史的国家へと脱皮するに伴っては、曽(かつ)ての信仰的指導者の家柄が即ち国家的中心者の家柄たるべきものとされ、建国の史話を生み出したものであろうと思われる。大和地方の征服物語などは、建国過程の一片であって、深く根ざすところが別に存するのである。単に武力で支配者の地位を犯した者の子孫が幾千年一貫の天皇となり得るほど、日本の社会も甘いものではあるまい。前節に述べたような天皇の三面が確立するのには、深い根底があるのであって、単純皮相の征服者観の宣伝くらいで、ひっくりかえるようなものではない。

 古代人の最も重大且つ根本的の必要であった祭祀を司る家柄がその大公無私の故に民衆から完全に信頼され尊敬され、代々その地位と職務とを継承しているうちにかかる民衆の尊敬と信頼とは単にその地位や職務にのみ注がれるに止まらず、漸次その血統に注がれ、更に事実上、交流的にその血統血縁の拡大を見ることになると、ついに、この名誉ある家柄は、血縁社会の中心とされ、ここに、俗に宗家分家というような観念をも生じてきたのであって、極めて自然の推移である。又、神話的信仰時代から歴史的時代に受けつがれた皇室の精神的指導、民衆の精神的求心作用は相俟ってここに天皇を民族の心縁の中心として確立してきたのである。三種神器というものはそこに深い関係をもっている。このように、祭祀の中心者が血縁の中心ともなり心縁の中心ともなってくれば、祭祀そのものの範囲や性格が多少変ってきても、要するに、ひろい意味での国家生活の中心主軸を天皇に見出すことになるのは当然であろう。つまり治縁の中心を天皇に求めるようになるのである。

 征服者だとか命令者だとかいう外部的な力の関係でなく、日本の民衆が、自己自身の生命(血縁)の統一欲、精神(心縁)の統一欲、複雑矛盾する社会生活(治縁)の窮極的統一欲即ち、内部的要求に基いて、天皇を創造したのである。天皇は、日本民族を外部から征服した者でなく、日本民族の根底から盛り上げられて創造されたものであるから、その地位の不動なる事万国に比類がないのである。一時代国家の権力者としてではなく、最も基本的意味での日本の国家の内部的、直接的、窮極的統治者すめらみこととして日本民族の創造した至高の公者(おおやけなるもの)なのである。むしろ権力などは概して時の附加物であり、或は時の方便手段であって、本質ではない。

 天皇に権力のなかった時代は非常に長い時間を占めているが、それでも常に時の権力者の上位に厳然として臨まれていたのは決して偶然ではないのである。明治憲法以後官僚や御用学者が、何でも彼でも天皇の名で政治を行い、大権絶対〔立憲政体の下では君主が独断で大権を発動する余地はなく、大権政治と云っても実質的には大臣が天皇の形式的裁可を得て天皇の絶対的命令として行うことになる。結果、大権絶対は官僚絶対となり、虎の威を借る狐の如き極めて狡猾な政治に堕し、天皇悪用の源となる〕だなどと宣伝したものだから、ついに、天皇を大権主義で解釈するようになったのは、実に甚しい誤りであつた。

 この誤りがぬけきらない為め、新憲法で象徴と定めると、飾物のように思うのだが、そんな浅薄低級な頭で、天皇制の廃止だの護持だのと騒ぐのこそ、蝸牛角上の争いというべきものである。天皇が権力者であるかないかなどは、要するに一時代の歴史的形態に過ぎない。天皇の本質は、権力のあるなしなどより、遥に深い民族生命社会の根底に於て、血縁の中心、心縁の中心、治縁の中心であるという点に存するのである。これを国体学では、天皇の三縁中枢又は天皇の主師親三徳というのである。

 

さとみ きしお(日本国体学会総裁・法学博士)

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