「国体科学」入門篇〔7〕 天皇は資本家ではない

里見岸雄著『新日本建設青年同盟 学習シリーズ 1 天皇とはなにか』所収

天皇の階級性に目をつぶるな、と唯物論者は言うであろう。彼等は口を開けば、天皇は資本家、地主の代表だという。

成るほど、明治憲法の下に於ては、皇室が多くの株を所有せられたり、投資をされたり、御料地を有せられたり、浅薄な眼光者流には一見、大資本家であり、大地主であるように思えたろう。然し、そのようなものは、全く時代的に附着された表皮的性格にほかならないのであって歴史を一貫するものでないのは、ちょっと徳川時代をふりかへってみてもわかる筈だ。皇室と雖も時代の経済的組織を遊離して御生活になることの出来ないのは、共産主義者と雖も資本主義社会に生きている限りその社会から分離して生活の資料を得られないのと同じである。

明治憲法時代の皇室御経済というものは、こういう関係の必然的形態であったのだが、又一つには徳川時代の御不自由などに同情申上げた重臣等が成るべく豊富にしてさしあげたいと思った至情の結果でもあろう。然しいずれにしても、そのようなものは、皇室の存在の必然的結果でないことは、歴史に於ける皇室御経済の時に苦難に充ちた変遷を一見すればわかるであろう。新憲法下では皇室財産が殆ど皆国有に移されてしまっている。蟹は甲羅に似せて穴を掘るで、時の支配者が、その頭に、上位者として頂く天皇に対する御待遇が、その時代の政治的経済的性格を帯びるのはやむを得ないことであって、それを天皇との因果関係に結びつけるのは、科学的研究の不十分か良心がない「為にする」説に過ぎない。

時代の支配的機構というものは歴史的必然によって成立するのであつてそこに階級性が伴うことも亦避け難い。従って各時代の国家機構の最上位に君主として臨まれる限り、天皇にも一面階級性の伴うことは免れ難い道理である。然し、天皇の階級性は単に時代の影に過ぎない。各時代の支配階級は、その歴史的使命を終るとバトンを次の者に渡して支配者の地位から転落する。然し天皇は依然として天皇であり、唯、前時代の支配者的影が消えて新しく当代の支配者的影が宿るだけである。

然し、社会の進歩と共に、この影すらも次第に稀薄になり、天皇を、制度的にも能う限り、至公なる全国民の中枢者としての面を大きく規定しようとするようになってきている。国体的自覚が正しく強く高度に発達すれば、おそらく、天皇に於ける時代社会的支配階級の影は完全に消滅し、そこに基本的天皇統治権が純粋なる意味を以て、再登場し、永遠の国礎を固めるようになるにちがいない。これが日本国体の実現される時の国家の在り方である。

さとみ きしお(日本国体学会総裁・法学博士)

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