陛下のお言葉を拝し奉りて

陛下の国民に対する御下問

平成二十八年八月八日午後三時、天皇陛下より「お言葉」が発せられた。その全文は本誌巻頭にも奉掲したが、日本国憲法で定められた「象徴」といふ御自身の地位はもとより、高齢化社会における御代替はりについても日頃の叡慮を明らかにされ、ひいては天壌無窮の国体を国民と共に護つていく御覚悟を示されたものであつて、謹聴する我らをして粛然たらしめるものであつた。

「既に八十を越え、幸ひに健康であるとは申せ、次第に進む身体の衰へを考慮する時、これまでのやうに、全身全霊をもつて象徴の役割を果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じてゐます」と、陛下は御自身の老いに言及された。そもそも、この世に生を受けた者は老い、病み、そして死を迎へる。自然人である限り、たとへ天皇であらうと、その運命から逃れることはできぬ。

しかし、現行の皇室典範には、皇位継承の資格として生が、摂政を設ける要件として病が、皇位継承の原因として死が想定されてゐるものゝ、老を想定した規定は存在しない。皇位継承に関する規定は明治二十二年に制定された旧皇室典範で定められたが、当時の平均寿命は四十歳代前半であり、今日のやうに社会の高齢化を意識する必要などなかつたゝめだらう。

また、陛下は「国民の安寧と幸せ」を祈り、「時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思ひに寄り添ふ」ことを以て「象徴」の御役割とされたが、それこそが「聞こし召し、知らし召す」といふ天皇統治の本質でもある。交通手段の発達に伴つて移動が容易になつたこともあり、陛下は日本国内のみならず海外にまで行幸あそばされたが、情報化・グローバル化の進む現代社会においては天皇としての姿を広く内外に示すことなくして国家は統治できぬ、との御判断によるものと拝察する。

そのやうに考へられたからこそ、陛下は国事行為の臨時代行や摂政の制度にも言及されつゝも、「無理があらう」、「十分にその立場に求められるつとめを果たせぬまま、生涯の終はりに至るまで天皇であり続けることに変はりはありません」と否定的な御見解を示されたのではないか。

さらに、陛下は御不例に伴ふ社会の停滞や崩御に伴ふ関係者の繁忙についても御軫念になつてをられる。垂仁天皇が、皇后の薨去に際し、殉死の風習に替へて埴輪の埋納に改められたといふ伝承を想起させるもので、恐懼の至りとしか申しやうがない。

解決すべき課題

我々は、皇位継承の在り方に関し、衆議を尽くした上で陛下の御聖断を仰ぐべきであると説いてきた。それゆゑ、今回の御聖断についても謹んで承るだけだ。

問題は、今回の御聖断で示されたことを如何に実現していくかである。

歴史を振り返ると、神武天皇から舒明天皇まで皇位は崩御に伴って継承されてきたが、皇極天皇が乙巳の変により蘇我蝦夷・入鹿親子が誅滅されたことを契機として弟の孝徳天皇に譲位あそばされたのが嚆矢である。その後、平安時代において譲位は通例となつたけれども、その過程で権臣が皇位を左右したり、譲位された上皇と天皇との間で不幸な争ひが起こるなど、皇位の安定性を損ふ事態が生じることもあつた。

そのため、旧皇室典範第十条に「天皇崩スルトキハ皇嗣即チ践祚シ祖宗ノ神器ヲ承ク」と継承の原因を崩御に限つた。これについて、里見岸雄は「今や典範は、深く過去の歴史を反省批判し、国体の大義に基き厳乎たる理性的批判を加へてこの原則を確定した」〔『国体法の研究』〕と評してゐる。

敗戦後、日本国憲法の下に新たな皇室典範が定められたものゝ、第四条に「天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する」と定められた。なほ、里見は昭和三十三年七月に「大日本帝国憲法案」を発表してゐるが、その第二十六条二項に「天皇は、退位できない」と記してをり、一貫して譲位を不可としてゐる。

かうした国史上の出来事や先師の見解は十分に尊重すべきであるが、臨時代行や摂政に対して陛下が否定的であられる以上、譲位といふ選択肢を第一に考へねばならない。

譲位を非とする理由は主として先に挙げた二点とされるけれども、今日のやうに議会制が確立した社会において、特定の権臣が皇位を左右するのは極めて難しいのではないか。国民の絶大な支持を集めた政治家が退位を強要するといふ可能性は皆無ではないにせよ、万が一そのやうな政治家を国民が支持するならば、退位を云々する以前に天皇を戴く国体じたいが実質的に瓦解してゐるといふことである。

上皇と天皇との争ひについてだが、これについては天皇が上御一人であることを明確にすることが必要であらう。云ふまでもなく、陛下には院政を布く御意思などあらう筈がないけれども、上皇と天皇の不仲を書き立てる不逞の輩が出て来ぬとも限らない。上皇の御身位や重祚の可否などについて慎重な制度設計が求められよう。

また、皇太子殿下が即位あそばされた暁には文仁親王殿下が皇嗣となられるわけだが、何とお呼び申し上げるのが妥当であるか。将来において内廷を構成するであらう秋篠宮家の品位を経済的に支へる仕組みなども合はせて遺漏なきを期す必要があらう。

一連の課題を解決するためには、立法措置が不可欠だ。既に何人かの識者が指摘してゐる通り、皇室典範を改正する方法と今回限りの特別措置法を成立させる方法の二つが考へられる。たゞ、「これから先、従来のように重い務めを果たすことが困難になつた場合、どのように身を処していくことが、国にとり、国民にとり、また、私のあとを歩む皇族にとり良いことであるかにつき、考えるようになりました」といふ陛下のお言葉を鑑みれば、中長期的視点に立脚することが不可欠であり、特例として特別措置法で対処するのではなく、皇室典範の改正を行ふ必要があらう。

改正論議に当たつては、これまで述べてきた課題に加へ、将来を見据ゑて以下の二点についても改正を論議すべきと愚考する。第一に、皇室典範改正の発議においては必ず陛下から前以て勅許を得ること。第二に、改正に当たつては両議員において三分の二以上の賛成を以て可決すること。これによつて、天皇や皇室の在り方について陛下の御意思を反映することが可能となるだけでなく、君民一如一体の国体法としての重みを持つた憲法に準ずるものとなる。

もちろん、第一の点は「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」といふ日本国憲法第四条に抵触するが、「憲法の下、天皇は国政に関する権能を有しません」といふ陛下の御発言を聞いた国民は、この規定の異様さに気付いた筈だ。

今後、皇位継承の在り方について陛下の聖断を仰ぐ時が必ず来る。その際、今回のやうにNHKを始めとするマスコミの報道が先んずるやうなことがあつてはならない。国民の意見が分かれる問題であるからこそ、陛下の正式な御意向表明を受けて公明正大な議論が行はれるべきであり、リークなどといふ姑息な手段は厳に封じておかねばならぬ。

国民の責務

七月十三日の報道を受けて、様々な識者が見解を発表した。その一部を次頁以降に掲載したので御一読願ひたいが、そこから窺へるのは、日頃の政治的主張を超えて人々の思ひを喚起する天皇の比類なき力だ。単なる近代国家の立憲君主に過ぎぬなら、退位に関する出所不明の報道一つで、こゝまで波紋を呼ぶわけがない。近代国家を超えた原国家、里見の言葉を借りるならば「民族生命体系としての日本国体」の中核に坐すからこそ、人々は神聖な存在として無意識の裡にであつても万世一系の天皇を仰ぎ、その御言動に心を揺さぶられるのだ。

陛下は、「このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつゝ、これからも皇室がどのやうな時にも国民と共にあり、相たずさへてこの国の未来を築いていけるやう、そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとへに念じ」られ、「国民の理解を得られることを、切に願つてゐます」と締め括られたが、実に重いお言葉である。

それに比して、「天皇陛下よりお言葉がありました。私としては天皇陛下が国民に向けてご発言されたことを重く受け止めております。天皇陛下のご公務のあり方などについては、天皇陛下のご年齢やご公務の負担の現状に鑑みるとき、天皇陛下のご心労に思いを致し、どのようなことができるのかしっかり考えていかなければならないと思います」といふ安倍首相のコメントの何と軽いことか。本来であれば、以後の公務を全て取り止めてゞも自らの考へをまとめ、陛下の御下問に対する首相謹話を発表すべきであつた。

安倍首相が頼りにならぬのなら、一人一人の国民がそれぞれ御下問と向き合ひ、万世一系の天皇に関する理解を深めていくことを通じて陛下の御期待に応へ奉るほかにない。里見日本文化学研究所・日本国体学会としても、全てを擲つ覚悟である。 (八月九日筆)
〔金子宗徳〕

『国体文化』(平成28年9月号)所収

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