「国体科学」入門篇〔9〕 民主主義と天皇とは両立しないか

里見岸雄著『新日本建設青年同盟 学習シリーズ 1 天皇とはなにか』所収

学者の中には、究極的には民主主義と天皇とは両立しないといふ者がある。果してさうか。

第一、曰ふところの民主主義とは何だ。いきなり、わかりきつてゐることのやうに民主主義といつても、その民主主義なるものの内容を明かにしておかなければ正常な論議を尽すことは出来ぬ。ソ聯の共産主義でも、民主主義だといふのだから、慌てて「民主主義」といふ言葉を神聖不可侵なものとしてはならない。日本が今日、国際法上の義務として実行を誓つた民主主義以外の民主主義は、日本人の感知するところではない。

連合国は、日本が天皇国であることを知つてゐて、民主主義的傾向の復活強化を要求し、且つ、日本の最終的政治形態は日本国民の決定に任せたのであり、その結果として、日本国民は、所謂「天皇制」を護持したのである。こゝから、問題は出発する。若し、天皇制又は日本国体と矛盾する民主主義──即ち無君主義的民主主義は存在しても、日本の関知する必要なき処である。強て、天皇と矛盾する程度の民主主義を実行せんとする意図は、おそらく、日本国民によつて粉砕されるだけであらう。残るところは、一般に民主主義の根本理論とされる個人の平等といふやうな点だけとなる。個人の平等といふ原則から、血統による皇位の継承、特別の栄誉ある天皇の身分といふやうなものは、民主主義と相反するなどといふ理論を導いてくるのは、法則に通別の二義あり又、原則はすべて例外を持つといふ法則を忘れたものである。

ポツダム宣言で約束した民主主義は、天皇奉戴の下に実行可能、即ち矛盾なく遂行せられ得ることの、国際的、国内的確信の上に坐してゐるのであつて、一学究の観念的理論の遊戯のやうなものとは全然性質を異にしてゐる。それが、実際の民主主義であつて、現に日本にこの義務を課した連合国の一員たる英国そのものが君主国ではないか。

曽て著者が、皇道とは日本の特別な道といふ意味ではなく、世界のいかなる国にも普遍する道だと主張したのに対し、蓑田胸喜といふ狂信的皇道論者が、無君の国にも皇道が行はれるといふのは、諸子百家も為さざりし詭弁だと曰つたことがあるが、それを裏返へしにした反動が、民主主義と天皇とは両立しないといふ理論になるのである。前者は皇道を正解し得なかつた者であり後者は民主主義のハキちがへであることは言ふ迄もない。

日本の天皇には、革命されなければならぬ史的素因も現実の理由もない。反対に、絶対多数の国民から、益々皇位の永遠なる御安泰が欲求されてゐるのであつて、革命すべき原因のない処に、民主主義といふ文字に捉はれた机上の論理で、両立不可能の宣言などするのは、むしろ時代の風潮に便乗した思想であつて、われわれは、そこに一種の軽薄なものを感ぜざるを得ないのである。

さとみ きしお(日本国体学会総裁・法学博士)

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