「国体科学」入門篇〔10〕 人間自覚史上の一大精華

里見岸雄著『新日本建設青年同盟 学習シリーズ 1 天皇とはなにか』所収

欧米人が、基督教の教権主義から宗教革命を起し、ルネツサンスの個人我の自覚を完成した事は、西方よりせる人間自覚史の一大精華であつた。それは個を起点として横に人間の存在の尊厳を証明したものである。日本人は、西洋の文化とさへいへば、ただ我を忘れて憧憬の眸を見はるが、そればかりが能ではあるまい。静かに内に自らを顧みよ。見よ、東方の人類が築きあげた精神的文化の最大なるものは何か。

言ふ迄もなく、人間の生命的系列に於ける、本末上下の自覚と軌範ではないか。勿論それらの教説の中には、時代的観念が多く附着してはゐるが、それらの封建的要素を取除いて、純粋に、人間の生命的、社会的本末上下の関係を静観し深思し来れば、そこに厳然たる法則の存すべきは言ふ迄もない。人間が動物と根本的に区別せられる要点は、生命の系列に於ける本末を自覚し、そこに上下の秩序を立てる処に存するのであつて、これよりも根本的に人獣を区別し得る準標はない。

試みに我等の家族の中から、この本末上下の自覚を除き去つて、単なる親愛感や同族感や同類感のみを残したと仮定するならば、そこには、人類があるのみで人間はないであらう。人間とは、根本的に、人と人との間柄の自覚体に外ならぬ。家族的本末自覚態は、全人間の基本的あり方として、事実上世界の全人類の間に普遍してゐるが、不幸にして、人類の最大の血縁社会たる民族となると、かかる自覚態を構成する客観的基礎が一般に消滅してゐる。印度や支那の思想は主として人間の本末上下の自覚に基いたもので、これは、生命の系列を起点として縦に人間の存在の尊厳を自覚したものに外ならぬ。それらの教説は甚だ光彩に富むが、然も一度び、民族、乃至、国家といふ段階になると、生命体系の薄弱さの為めに、理論がどうしても現実と一致しない。

即ち理論徒らに精美にして現実は互ひに伴はないのであるが、これはそれらの国の革命の歴史によつて生々しく立証されてゐる。ところが、日本はどうかというと、理論こそ大陸の影響下に立つたが、事実はどうであつたか、人間の本末上下的自覚を、単に家族の範囲に止まらしめず、民族を他に比類なき有中枢的生命体系にまで完成した。つまり人間の本末上下的自覚を、人間の一番大きな生命体系たる民族の上に形成したのである。これは確に、人間自覚史上に於ける一大精華といはなければならぬ。

さとみ きしお(日本国体学会総裁・法学博士)

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