八紘一宇と八紘為宇

日本国体学会総裁・法学博士 里見岸雄

『八紘一宇と八紘為宇』 (昭和十六年十一月・里見日本文化学研究所)より抜粋

 (前略)「八紘一宇」と「八紘為宇」だが、成る程、日本書紀の原文には「一宇」といふ文字は見えないが「為宇」とはある。然し「八紘為宇」といふ語も見えない。原文にはかうある。

……然後兼 六合 以開 都。掩 八紘 而為 宇不 亦可 乎。

 即ち、「八紘為宇」などといふ熟語は全然ないのであつて、「八紘為宇」といふは、「掩八紘而為宇」の中から、任意に、「八紘」の二字と「為宇」の二字とを結びあはせて造つたものにほかならないのである。してみれば、「八紘一宇」だけが私製の語ではなく「八紘為宇」も亦同様私製の語であつて、前者だけがさかしらで、後者だけが「承詔必謹」だなどといふ馬鹿なことは言へない譯であらう。これで又一つ問題が片付いた。

 次に「八紘為宇」といふのは、「八紘を宇と為す」の意である。然るに、「八紘を宇と為す」即ち「八紘為宇」といふ熟語は、原文の「掩八紘而為宇」を完全に言ひあらはし得てゐるかが問題である。日本書紀には、単に「八紘を宇と為す」とあるのではない、「八紘を掩ふて宇と為す」とあるのである。「八紘を宇と為す」のと、「八紘を掩ふて宇と為す」のとでは大変な違ひである。「掩ふ」といふのは、おほふ、かばふ、をさめる、つゝむ、などの意味で一つにするの意味である。
 日本書紀の文章は、

兼六合
掩八紘

 とあつて、この「兼」と「掩」といふ文字がこの文章の性命なのである。これを予の先考が六合一都八紘一宇と熟語化し、明治三十七年に「世界統一の天業」といふ著述で日本国体の世界観と日本天皇の大業とを喝破したのである。されば六合を都とするのではなく、「六合を兼て以て都を開く」のであり、「八紘を宇と為す」のではなく「八紘を掩ふて宇と為す」のである。

 だから「八紘為宇」といふ熟語は、熟語そのものとして、原文の意を十分に表現し得たものとは言へないのである。つまり漢文の読書力の乏しい人か、文章の義を看破する力の無い人かの造つた熟語にほかならないのである。

 之れに反して、「八紘一宇」の語は、実によく「掩八紘而為宇」の句の思想的含蓄を表現し得たもので、日本国體皇道に基く崇高雄大なる世界観並びに天業を一語に攝盡し、且つ発揚し得たる泰山不動の妙熟語と曰はねばならぬ。

 唯一字の「一」といふ字で聖意を活現してゐるのである。

 単に「八紘を宇と為す」のではなく「八紘を掩ふて宇と為す」といふところにこの聖詔の思想の深さを見出し得ない者、即ち掩而といふ文字の存在がわからない様では熟語など彼是れ云々する資格がない。かつて、明治二十六年二月十日、在廷の臣僚及び帝国議会の各員に賜はれる詔勅に於て

古者、皇祖国ヲ肇ムルノ初ニ当リ、六合ヲ兼ネ、八紘ヲ掩フノ詔アリ

と仰せられたが、そこには「兼」と「掩」とが特に意義ある文字としてあげられてゐる。「八紘を掩ふ」て而して「宇と為す」のである。「八紘一宇」と熟語してこそ、この「掩八紘而為宇」の聖句を完全に表現し得るのであつて、これがまことの承詔必謹的造詣ある熟語なのである。

 だから、「八紘為宇」と曰ふのが、「掩八紘而為宇」の聖句のよりよき熟語であるなどといふ説は全く取るに足りない俗説で、漢文の十分に読めない人の造語に成れるものとしか思はれない。況して、「八紘一宇」といふは仏教家たる田中智學の造語ださうだ、何とか他に言ひ方がないものだらうか、などといふ反感などを基として「八紘為宇」でなければならぬ、などと言ひ出したものであるとせば、それをこそ、さかしらごとといふのである。世迷ひごとともいふべきである。況や既に「一宇」の語は詔勅に用ゐられ、秩父宮殿下又「八紘一宇」の御染筆ありし今日に於てをやである。

※ウェブサイトに掲載するにあたって、『日本書紀』中の返り点等は省略しました。詳しくは『国体文化』二十七年五月号を御覧下さい。

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