「国体科学」入門篇〔6〕 天皇は単なる制度ではない

里見岸雄著『新日本建設青年同盟 学習シリーズ 1 天皇とは何か』所収

 以上の趣旨を要約して簡単に言い表すと、『天皇は日本民族の生命体系に於ける中枢である』といふことになる。

 体系とはただ矢鱈に沢山の物を積み重ねたり寄せ集めたものとは異り、沢山な個々の分子が一定の原理よって集って組成している統一的全体である。だから部分と全体と籍互に一定の必然的関係を有しておる。この意味で人体は一つの体系である。何となれば人体は多くの細胞が一定の原理によって集合して出来ている統一的全体だからである。体系には機械的体系と有機的体系とを分ち得るが、人体は勿論有機的体系であり、有機的体系はとりも直さず生命体系である。個人が生命体系であるばかりではない、家族も亦生命体系である。同様に、民族も亦一個の生命体系である。

 ただ、人体の場合は生理的体系であるが、家族や民族の場合には社会的体系であるといふ相違があるだけだ。生理的体系には必ずその中枢がある。然るに社会的体系となると中枢が或は存在し或は存在しない。勿論、中枢の存在する方が体系として完全なものである。

 さて、国家というものを、外国の学者が日ったように一つの権力装置と考えるならば、国家最高の支配者は即ち権力者でなければならぬ。ところが日本の歴史では、天皇が国家権力から遠ざかって居られた時期の方が長いのであって、然(しか)も無権力の天皇がいかなる場合にも必ず実際上の権力者の上位に立ち、精神的には窮極的の尊敬の対象とされてきた。それは、日本の国家が一面には国家一般の歴史過程をたどりつつ、然も根底に於て、この国家は常に民族生命体系の生長過程にあり、現実的国家が、国家の根底に実在する悠久なる民族生命体系によって底礎(そこをいれられる)されていたからにほかならない。これを国体科学では、国体というのである。

 こう考えてくると、日本に天皇がいますといふことは、決して単なる制度の問題でないことがわかってくる。終戦後、天皇制といふ言葉が無思慮無反省に乱用され、国体といふ言葉とこんがらかってしまったが、天皇制というのは、天皇を君主として戴く国家制度の意味であって、それ以上のものではない。天皇を国家の君主として戴く制度の内容といふものは一様ではない。変化しないのは、天皇を君主とするという名分だけで、君主たる天皇がどのような大権を行使されるかという内容に立入ると、時代によって大いに異っている。成るほど、国家の法制的観点からすれば、天皇を君主として戴くということだけを見ても一往、制度といい得るが、然し、天皇を国君と仰ぐということは、必ずしも一時代の政治的決定や制度に基くものではない。一時代の政治的決定や制度に基くものであるならば、次の時代には天皇を廃止してしまうことも出来る道理である。それが制度というものである。制度というのは、人間が必要に迫られて工夫しつくり出した機構やおきてを指すのであって、根本的な存在ではない。だから、時代によって変化もするし革命もされるのである。

 ところが、天皇は、元来、日本民族生命体系の中枢である。天皇が日本国家の君主として奉戴される根拠は個々の天皇の智力や徳力や財力や武力や、それらの惰性としの血統に存するのではなく、民族生命体系の中枢である一事に存するのである。国家の法制上の天皇が定められていれば、その限りで天皇制といい得るが、それは一往の談道であって、実は、法制上に君主と定めていることそのことが単なる時代的理由に基くのでなく国家の根底である民族社会の生命的決定に従ったことに外ならないのである。この意味で日本が天皇を有するということは、片々浮雲の如く去来する時代の制度ではなく、日本民族生命の全史を一貫する社会的根拠に基くもの、つまり時代を超越した悠久の存在そのものだということを覚るべきである。わかり易いように例を引こう。たとえば家族は明かに生命体系として実存する。然しこの家族には制度といふものが伴う。所謂家族制度がそれである。

 人は往々にして家族そのものと家族制度とを混乱して考えているが、家族制度は時代によって変化しても家族そのものは変化しない。男女が夫婦となり、子を生んで親となり、親が家族の中枢となって生命体系を成している事実は古今東西不変である。変化するのは、夫権だの父権だの親権だのというもの、それと関連した妻の権利、子の権利などというものだけだ。たとえば古代になるほど父権が絶対的であつたが、近代になるほど子の権利が認められてくる。然し父親が絶対的父権を喪失したところで、父親の職能が無くなるわけでもないし、父親が父親でなくなって、子と平等になってしまうものでもない。原則として父親、乃至父母というものは、飽く迄、家族の中心である。それは、生命のおのずからなる決定であって制度ではない、天皇の場合も根本的には亦民族生命体系の決定であって、区々たる制度の問題ではないのである。

 天皇は、単なる制度上の機関なのではなく、まさに「日本民族」という巨大な生命体の中枢として、おのずからに成り、おのずからに在る永遠的実存である。天皇制は変化するが国は変化しないというのはここのことだ。天皇制の廃止だの護持だのと曰ってみても、この深き天皇観に立脚しないものは皆迷中の是非たるを免れない。

さとみ きしお(日本国体学会総裁・法学博士)

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