「国体科学」入門篇〔4〕 天皇の三面

里見岸雄著『新日本建設青年同盟 学習シリーズ 1 天皇とは何か』所収

万世一系の天皇には三面がある。

三面とは天皇が天皇として国民に接触したまう面であって、主として作用又は活動から見た天皇の資格や機能に三つの面があるという意味である。然らばその三面とは何であるかというと、目の子勘定〔=見て勘定すること〕で誰にもわかるのは、われわれと同じように肉体をお持ちになり、特定の個人の名称を有せられ、独自の性格を具えられた人としての天皇、即ち一般に陛下という敬称を附してお指しする個人たる天皇であろう。今上天皇陛下ならば裕仁という御名を有せられ大正天皇の第一皇子であらせられ、生物学に深い御造詣をお持ちになっておられる方であるし、明治天皇ならば、孝明天皇の皇子で御名を睦仁と称せられ、維新の大業の聖主と仰がれ世界的に知られた幾千万の御製を残したまうた方である。いずれも、個人として実在したまうた又は現に実在したまう御方であるが、これを個々の何々天皇として一々に考えず、一般的に学問的に言いあらわすと、自然人天皇と称するのである。自然人とは法学の術語であるが、やさしく言えば、生きている人間のこと、むつかしく言えば、権利能力の主体であって法人でないものを指すのである。

万世一系の天皇は、自然人たる天皇によって現実に活動するのであるが、然し両者は区別して考へなければならぬ場合がある。たとえば、万世一系の天皇は不老不死であるが自然人天皇は、出生、生長、崩御の過程をたどられる。明治天皇は既に崩御なされたが万世一系の天皇は崩御されるということはない。だから区別する必要のある時には明確に区別しておかなければならぬ。

さて、天皇の三面を分析して、特に自然人天皇という場合には、大体、天皇の個人としての面を指すのであって、公の国務の面などに於ける天皇とは区別して考えるのが原則である。即ち自然人天皇が、たとえば食事を召しあがるとか、皇后や皇子方と御歓談になるとか、或は生物学研究で生物学の御研究所に従事なさるとか、乃至、御苑を御散歩になるとかいうことは、天皇が天皇として国家又は国民の為めになさる御活動ではなく、全く天皇御個人の任意自由なる御行為である。即ちこの場合には、天皇と国民とは全く人間的に対面しているのである。

然るに、旧憲法の時代に、統治権を総撹したまうとか或は新憲法の下に、国事に関する行為をなさるとかいうことは、天皇としての公けの御行為であって、この面では天皇と国民とが法的又は政治的に対面しているのである。これが国家的面である。ここまでは誰れでもすぐ考えるところであるが、まだもう一つ重要な面がある。それが社会的面である。社会的面といふのは、国家的面のような政治や法律の制度と異り、日本人の太古以来の、おのずからなる社会生活の上に天皇が極めて大きな作用を営みたまう面を指すのである。たとえば終戦後憲法が改正され、天皇は一切の政治的権力からお離れになってしまったので、もう形式的にも実質的にも天皇は国民に命令なさる事がなく、権力を御行使になるということは全くなくなってしまった。

それで、愚な者は天皇は今や一個の飾物だぐらいに考えているのであるが、それは事物を見る眼が節穴同然だからで、深い社会事実を看取し得ないものと日わなければならない。成る程、天皇は日本国憲法に定められたほんの形式的な国事を行われるに過ぎないが、それは法律や政治の制度上の事であって、実は、敗戦の苦悩混乱の中にも日本が全く四分五裂し救い難い混沌に陥ってしまわず、やはり全体としての統一を保ちえているのは、表面的には憲法の規定の存する為めだといえるが、根本的、窮極的には、天皇が厳然として実在しておられる為めにほかならぬ。即ち、法律や政治の上の天皇の作用より、もっと根本的、普遍的に、日本民族の社会的生活が、天皇を中心に戴いており、天皇を根本として民族的結合を完うしていることこそ、むしろ法律や政治の奥底に横たわっている事実なのである。天皇は一語と錐も命令を発したまわなくても、日本人の社会に根本的結合と窮極的統一を与えておられるのであって、それがここに言う社会的面という事で、これが、天皇統治の本体なのである。

だから、仮りにこれを力として見ても、それは誠に測るべからざる大きな力であって、これこそ、天皇の権力に対して天皇の実力というべきものなのである。然もこの大きな力は、単に天皇個人の能力と見るべきではなく、実に、個人によって充足され表現され体証されている万世一系の天皇の能力なのである。そしてこの万世一系の天皇の能力は、如何なる個々の天皇にも悉く普遍しておるのであって、個々の天皇の個人的能力の有無に関しない。即ちたとえ自然人として成年に達せざる幼帝であろうと、或は身体若しくは精神に大政を親(みずか)らする能わざる失陥ある天皇であろうと、いやしくも皇位を践まれた天皇である以上、その身位の当処に厳存活動する能力なのである。これを万世一系の天皇の普遍能力といい、この能力は、個人たる天皇が意識されると否とを問はず、又、時間を貫いて存在するものであるから、これを普遍能力の恒存というのである。幼帝を象徴とするのは無意味だというような思想が取るに足りないものであることがわかるであろう。ただ、自然人天皇の能力が勝れて居れば、右の普遍能力を一層個性的に有効に発揮し得るという丈けで、基本的なものは飽く迄、普遍能力である。而しでこの普遍能力を徳と見る時、これを聖徳というのであるから、聖徳も亦基本的意味では普遍的であり恒存的であるということになる。へらず口を叩く者は、よく、歴代中にも聖徳の欠けた方があるなどと公式的歴史論を振り舞わすが、その歴史論の当否はしばらく別として、たとえ個人的には若干聖徳に欠けた方があったと仮定しても猶お、基本的聖徳だけは必ず具備して居られるのである。それでなければ、いかに日本とはいえ、革命も何も起らずに二千年三千年と皇統連綿でいる道理がない。

天皇の個人的面は天皇の交替即ち譲位であるとか崩御であるとかいふ原因によって自然人が変るのであって、例へ明治天皇と大正天皇とは別個の天皇であるようなものである。天皇の国家的面も変化する。尤も、これについては、日本の国家を基本国家〔政権の移動や政治体制の変化にかかわらず一貫永続している根本の国家、つまり君民組織〕、時代国家〔一時代の支配力を振るっている権力的国家組織〕といふ風に区別して観念すれば、基本国家については変化しないといふことが出来るが、話が複雑になるからそれは別の機会に譲ることとし、歴吏的に変化し発達しているところの制度としての国家、即ち時代国家の上だけについて言うと、天皇の国家的面は政治や法律の変化に伴って同一ではありえないのである。たとえば徳川時代のそれと明治時代のそれと終戦後のそれとでは大いに異るものがある。範囲の上から見ても天皇統治権は、広くなったり狭くなったり、一様ではない。つまり統治権には範囲拡大縮少の法則というものがあるのである。又、ひとり範囲にとどまらず、統治権の内容や性格の上にもいろいろな変化が伴うのである。たとえばごく古代のように祭祀の上に立った統治権もあれば荘園の土地制度の上に立った統治権もあり、専制独裁的統治権もあれば立憲的統治権もあるという風に、だから、一般の政治史的見方を以てすれば、天皇の統治権というものは、時代の社会的、政治的構造と体影相伴の関係に立つものであって、藤原時代には藤原時代のように、徳川時代には徳川時代のように、明治以後の官僚時代には官僚時代のように天皇統治権といふものが構成され易いのである。即ち統治権は時代的にその内容を異にするのである。これを統治権の性格変化の法則と名付くべ風きである。又統治権は奪うことも出来るし、摂政などによって代行することも可能である。即ち、統治権可奪の法則、統治権代行の法則というべきものが認められるのである。ところが、国体科学に於ては、政治法律的に権力として現れる天皇作用を統治権と日うのに対し、天皇が社会的に果される統治の実体を統治実と呼ぶのであるが.これはいかなる時代にも消滅せず、どんな政情下にも亡び去ることがなく、万世一系の天皇まします限り不抜の大御業として厳存し実動する。これを統治実不滅の法則といふ。統治実は、いかなる外部からいかに大きな力を加へても、日本国そのものが崩壊滅亡しない限り第三者的実力で奪い去ることの出来ないものであつて、これを統治実不可奪の法則と称する。のみならず、統治実というものは皇位に即在しての不離のものであるから、たとえ皇族摂政と錐も在位天皇以外の者には代行出来ないものであって、これを統治実不可代行の法則と名づける。そして統治実といふものはその内容実質を時代によって異にするといふことがない。

日本民族といふものを一つの生命体系と考えると、統治実というものはこの体系的生命に内在する法則なのであるから外部的理由や個人的理由によって性格を異にし得ないものであって、常に一貫不変の性格を帯び、それにより、民族の窮極的結合を保っているのである。これを統治実万世不変の法則という。これを簡単に国史の上で証明してみよう。藤原氏も随分勝手な振舞をし、多く藤原氏外戚国母となって生み奉った幼帝を即位せしめ累代摂関の大事を独占した。これ歴代の個人天皇の統治権を或は奪い或は制限したものであるが、所詮は外戚摂関たる以上には出られず又出ようともしなかった。

外国の歴史で見れば幾百年の長きに亘り藤原氏程に実質的大権を連続的に掌握していれば、いつの間にか革命が行はれるのが常例である。孟子が「万乗の国其君を弑する者は必ず千乗の家なり、千乗の国其君を弑する者は必ず百乗の家なり」と喝破したのは、彼が目撃伝聞しつつあった支那戦国動乱の世相から帰納した法則観であるが、ひとり古代支那戦国の時代のみの話ではあるまい。まさに世界史的常則である。然るに日本は、前後四百年の政権を独裁した藤原氏の勢力を以てしてすら、如何にしても、皇統皇位を奉ずるの外に道はなかったのである。個々の歴代天皇に対してたとえどのような横暴不臣の態度をとったにもせよ、皇統の一方(ひとかた)によって充足、表現、体証される万世一系の天皇を無視することは絶体的に為し得なかったのである。これ万世一系の天皇の統治実の不滅なる活動、即ち日本民族生命体系の内在自爾(じに)の大法則に服するほかなかったからである。後醍醐天皇御個人に対しては逆賊となった尊氏ですら、武力によって制覇したにも不拘(かかわらず)、自ら国王となる事が出来ず、又、なろうともせず、別に皇統の一方を奉じて、天皇と称せしめ、彼はその権威の下に執執権者たるに甘んじたではないか。これ時の個人たる天皇には逆(そむ)き得ても万世一系の天皇に逆き得なかった為めであるが、そこに天皇の不滅なる統治実作用の厳存を見なければなるまい。義時が後鳥羽上皇を隠岐に、土御門上皇を阿波に、順徳上皇を佐渡に奉遷し、仲恭天皇を廃し奉るという大逆を敢行しつつも一方後堀河天皇を擁立したのも亦同じ法則によってたやすく説明出来るであろう。

こういうわけであるから、天皇の統治権というものは、一般的には時代の社会的、政治的性格と深い関係を有(も)つのであるが、然し、これには、猶お、こういうことを考えてなければならない。即ち、天皇の統治権には、そういう時代の社会や政治の反映としての面だけでなく、何等か時代を一貫した不変の面がありはしないか、という事である。そして一度びこの事に思い致してみると、確かに不変の面がある。即ち、それは、天皇の統治実そのものの純粋な発動作用としての力たる統治権である。これは、現実的にか理念的にか必ず存在するのであって、階級を超越し、時代を超えて、日本国家の全体的、永遠的そして道義的、良心的権力と考へられるものである。国体の自覚が科学的に深まり確立されれば、かかる意味の統治権が、純粋に、そして必要な限度に於て、正しく規定され正しく運用されるようになる筈である。

既に読者は十分に天皇の三面というものを理解されたと思うが、このような三面を具備して然も歴史を貫いて君臨されるのが万世系の天皇であるから、天皇を、単に御歴代の個人として観察するに止まったり、或は、是の時代の製の上から見るに止まったりしている間は、決して正しい天皇観を形成することは出来ないのである。

さとみ きしお(日本国体学会総裁・法学博士)

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